第八話 青年インカ(11)【 第八話 青年インカ(11) 】 ところで、この頃、トゥパク・アマルの脱獄のことなどまだ何も知らぬ、隣国ラ・プラタ副王領に遠征中のアンドレスたちは、如何なる状況になっていたであろうか。 ここで、暫し、彼らが陣を張るソラータの戦況に話を戻そう。 和議を結んでスペイン軍をソラータから撤退させる作戦に失敗したアンドレス率いる当地のインカ軍は、今、再び、ソラータの包囲網を固めていた。 しかしながら、ソラータの街中には、敵軍によって巻き添えにされたインカ族の、あるいは、当地生まれのスペイン人の、それら何の罪も無い市民たちが、以前と同様に街中に立て篭もらされたままでいた。 インカ軍とソラータのスペイン軍との和議が決裂した今、敵兵たちのみならず、巻き添えにされた市民たちは、再び、食糧や生活物資の補給路を絶たれ、このまま包囲戦が長引けば、また過酷な飢えに襲われることは目に見えていた。 しかも、アンドレスに捕えられたスペイン側の将スワレス大佐の代わりに、現在、当地の「籠城」軍の総指揮を執るピネーロは、あくまで立て篭もりを続行する決意が固く、この情勢に至っては、いやがおうでも包囲戦の長引くことは避けられぬと予測された。 そのような戦況の中で、アンドレスが踏み切った行動は、自軍の兵たちをも驚かせた、というか、むしろ唖然とさせたほどであったが、彼は包囲網を敷き続けながらも、ソラータの市街への補給を再開したのである。 むろん、それらの補給物資は、市民たちへのものであったが、当地への補給ともなれば、立て篭もっている敵兵たちの手にも渡ることは明白であった。 が、それを自明の上で、アンドレスはソラータへの補給を再開した。 「籠城」した敵を燻(いぶ)り出す方法は、相手を飢えさせることによるだけではないはずだ、とアンドレスは考えていた。 (立て篭もる敵を、飢え以外の方法で攻め落とす――その方法を必ずみつけてやる! 市民の犠牲は、最小限に留めた上で…!!) ところで、そんなアンドレスが、暫く前から、毎日欠かさず続けていることがあった。 その日も夕刻時を迎えると、軍議を終えた彼は、いつものように陣営内の見張り小屋に立ち寄った。 陣中で最も高台の丘の上に建造されたその小屋では、数名の見張り役のインカ兵たちが、交代しながら24時間体制で勤務に当たっている。 まだ18歳の若さとはいえ、れっきとした総指揮官たるアンドレスの、毎日の直々の来訪に、兵たちはかえって恐縮して畏まって言う。 「しっかりと我々が見張っておきますから、アンドレス様は、どうか休息をとられてください。 どのような些細なことでも、何かあれば、すぐにでもお知らせに馳せ参じますから」 「ありがとう」と、アンドレスは笑顔を返し、「でも、自分でも眺めたいのだ。上っても?」と、見張り小屋に通じる長い梯子(はしご)を指差した。 「それは、もちろんです!! アンドレス様、どうか、お気をつけて」 兵たちは、梯子へ通じる道をサッと開く。 アンドレスは、そのまま俊敏な身のこなしで、もう幾度も往復しているその長い梯子を、素早く上り切る。 そして、簡素ながらも堅固な丸太小屋造りの見張り小屋の内部へと入っていった。 小屋の中で見張りに当たっていた数名の兵たちが、すぐにアンドレスの来訪に気付き、ぱっと道を開けて深い礼を払う。 アンドレスは、「いつも邪魔をして、すまない…」と、深く礼を払い返した。 「そんな、邪魔だなんて!」 アンドレスの来訪にすっかり馴染んでいる小屋の兵たちは笑顔で、「さあ、こちらへ!」と、敵兵たちの立て篭もるソラータの街が最もよく見渡せる位置へとアンドレスを誘(いざな)う。 アンドレスも、そちらへと足を運ぶ。 高台にある丘の上に、頑強な柱で支えて、さらに高い位置に設(しつら)えたこの小屋からは、360度のパノラマが見事なほどによく見晴らせた。 そろそろ晩秋から初冬へ移るこの季節――澄み切った夕刻時の空気の中で、沈みゆく太陽は、ソラータの街を、そして、それを包み込むように裾野を広げて林立する清冽な霊峰たちを、眩い黄金色に染め上げていく。 遥かに連なる6000メートル級の霊峰の頂は、既に純白の雪を冠し、金色の繊細な光をキラキラと照り返して輝いている。 冷風が、肩ほどまであるアンドレスの柔らかな髪を、はためかせながら吹き過ぎていった。 茜色に染まる夕空にくっきりと美しい輪郭を際立たせている彼の端正な横顔に、その場の兵たちは、思わず吐息を漏らしそうになる。 そんな当のアンドレスはといえば、ソラータの街並みよりも、むしろ黄金色の神々しい霊峰にすっかり心を奪われたように見入っている。 「ここからの眺めは、いつも、戦乱の中にあることを忘れさせる……」 ポツリと呟くように言ったアンドレスの言葉に、共に同じパノラマを見渡していた兵たちも、「本当に…」と、深く頷き返した。 それから、アンドレスは総指揮官の顔に戻って、問う。 「ソラータの動きは? 何か変ったことは、無かったか?」 兵たちは、「はい。敵は、いっこうに動く気配を見せません」と、逆に、難しい表情になった。 「そうか…」と、アンドレスも僅かに表情を曇らせる。 「では、引き続き、見張りをよろしく頼む」 深く恭順の礼を払う兵たちに頷き返すと、しかしながら、アンドレスはすぐに梯子を降りようとはせず、今度は、ソラータとは反対側の方角――それは、ペルー副王領の方角だったのだが――の見渡せる方へと移動していった。 そして、随分と時間をかけて、ひどく熱心にそちら側を見渡している。 それは、この見張り小屋に来た時の、アンドレスのいつもの行動パターンだったのだが、兵たちは、毎回、そんな彼に不思議そうな視線を向けていた。 その方角には、果ての見えぬ広漠たる森林や草原が、眼下に延々と展開するばかりである。 「アンドレス様、何かそちらに変ったことでも?」 兵の声に、「いや……」と、アンドレスは微かに頬を染め――兵たちは、それが西日に染め上げられたせいだと思ったのだが――サッと、小屋の出口の方に踵を返す。 「それでは、後をよろしく」 アンドレスは、早足で戸口に向かいはじめた。 その時だった。 彼が先ほど熱心に見渡していた方向の眼下に目をやっていた兵の一人が、「あれは…?!」と、声を上げた。 アンドレスは、ハッとして振り返る。 「アンドレス様! まだ、遥か遠くではありますが…人の集団らしきものが!!」 「何?!」 アンドレスは壁にかかっていた双眼鏡を、ひったくるように手に取ると、それを目に当てて兵が指を差す方向を一心に見やった。 そして、たちまち、その横顔に大きな光が射す。 「来た!! 来たぞ…――!!」 「アンドレス様?!」 興奮して叫びを上げるアンドレスを、すっかり驚いて見やっている兵たちの一人に、アンドレスはその双眼鏡を押し付けるようにして渡した。 そして、歓喜に震える声で言う。 「ペルー副王領から当地に向かっていた、インカ軍の連隊の一つだ!! 無事に到着したのだ!! しかも、多くの負傷兵たちも一緒だ…あれは、あの中には……――!!」 インカ軍の連隊と聞いて兵たちの表情にもパッと光が射すが、これほどのアンドレスの興奮ぶりにはまだついていけず、唖然としたように目を見開いている。 その間にも、アンドレスは、殆ど飛び降りるほどの素早さで梯子を降りると、梯子の下で見守っていた兵たちの方に駆け寄った。 「馬を!! すぐに馬を引いてくれ!! それから、軍を迎える準備を!! ペルー副王領から退避してきたインカ軍が、まもなく到着する。 負傷兵を護衛して避難してきた軍団だ。 負傷兵を受け入れる治療場を拡張して、受け入れ態勢を整えておいてくれ!!」 激しい興奮を漲らせるアンドレスの前に、兵たちはすぐに馬を引いてきた。 そして、彼の指示に、「はっ!!すぐにも!!」と恭順を示し、勢いに押されつつも礼を払う。 「頼む!!」 そう言い終わるか否かの間に、アンドレスは馬に飛び乗って向きを変えると、力強い掛け声と共に、先ほど集団が見えた方角射して、凄まじい勢いで馬を駆り出していった。 その彼を護衛するように、数名のインカ兵たちが急いで馬を引き、後を追う。 見張り小屋から確認した方角に向かって森林の中を疾走するアンドレスたち一行を、次第に夕闇が包みゆく。 そして、ほどなく、前方からこちらに向かって進みくるインカ族の軍団の陣頭が、視界に飛び込んできた。 アンドレスはその姿を確認して、固唾を呑んだ。 どれほど厳しい行程を進んできたのだろうか。 騎馬の者も歩兵も、風雨に晒されたそのままに、まるで物乞いのごとくに変容したその姿は、服も、髪も、肌も、それが兵であったなどとは、到底、想像しようもないほどにボロボロであった。 皆、褐色の皮膚を土埃と汗にまみれさせ、もはや性別の区別さえも、つかぬほどだった。 アンドレスは思わず息を呑み、馬の歩調を緩める。 見れば、それら軍団の馬たちの上に乗せられているのは負傷兵たちで、歩けるものは、身分も性別も関係無く歩き、馬上の人々を庇(かば)うようにして進んでくる。 果たして、連隊の将が誰かなど、全く見分けなどつきようもない。 否、恐らく、直近で見ようとも、老若男女の区別さえ、つけるのは難しかろう。 だが、その軍団は、それほどに疲弊し切っているにもかかわらず、とても高貴で厳粛な「気」を放って見えるのだった。 アンドレスは、何か、神聖な光に当てられたような感覚を覚えて、その気配に息を詰める。 彼は、騎馬のまま近づくのが憚(はばか)られ、馬を止めると地上へ下りた。 彼の護衛兵たちも、同じように、馬を下りる。 アンドレスは恍惚と興奮と、そして、今は、何か圧倒されるその雰囲気に緊張感さえ覚えながら、まるで、現世に光臨した神々に近づくような気持ちで、軍団の方に歩み寄る。 その軍団の陣頭を歩んでいた一人の兵が、不意にアンドレスの方向に力強い足取りで近づいてきた。 そして、「アンドレス!!」と、深い歓喜を滲ませた声で、己の名を呼ぶではないか。 その声には、確かに聞き覚えがあった…――いや、それどころか、非常に懐かしい声!! アンドレスは息を呑んで、そして、すぐに感動に打ち震える声で呼び返した。 「ロレンソ?! ロレンソか!!!」 アンドレスは、声の主の方に駆け寄った。 目の前の人物の、すっかり埃にまみれた肌には生々しい傷跡が幾筋も刻まれ、その風貌は物乞いも驚くほどの凄まじさではあった。 が、その黒々と汚れ切った顔の中で生き生きと輝く瞳、そして、鋭利で大人びた面差しは、紛れも無く、かの朋友ロレンソ、その人であった。 「ロレンソ!! 本当にロレンソなんだな!! よくここまで……」 アンドレスは、感極まって声に詰まる。 「アンドレス…!!」 大概において平静なロレンソも、今は、さすがに感極まったように、その声を詰まらせる。 そのまま二人は、がっちりと力強く抱き合った。 「ロレンソ…本当に、よく…よく無事で!!」 「アンドレス…そなたも!!」 ロレンソは微笑みながら頷くとアンドレスからゆっくり離れ、それから、真っ直ぐに友の瞳の奥を見つめた。 そして、真顔になって、低く問う。 「トゥパク・アマル様のことは、何か聞いているか…? アンドレス…」 アンドレスは、さっと顔を曇らせ、小さく頷く。 「ああ…トゥンガスカの本陣戦の時、敵方に囚われてしまったと……」 ロレンソは苦しげに目をそらして俯(うつむ)き、隠そうにも、僅かに震える声で言う。 「結局は、わたしは力が及ばなかった。 トゥパク・アマル様をお助けすること、かなわず…」 アンドレスも顔をずらしたまま、苦悶に喘(あえ)ぐ声で呻くように応える。 「それは…俺の方こそ…。 トゥパク・アマル様が囚われたと知りながら、助けに行くこともせず…俺は……」 必死で感情を押し殺そうとすればするほど、苦渋に歪むアンドレスの横顔に、ロレンソは真摯な眼差しを向けた。 「アンドレス。 このソラータ奪還は、この後の反乱の成否を左右するほどに重要なことであろう? だから、当地に残ったそなたの判断は、間違ってはいなかった。 気に病むな」 「……ロレンソ」 アンドレスは朋友の方に顔を上げたが、すぐに苦しげにスッと目線をはずした。 そんなアンドレスの耳元に、不意にロレンソが顔を寄せて囁(ささや)いた。 「アンドレス…これは、まだ、非常に曖昧な情報なのだが……」 「え…?」 「トゥパク・アマル様が、クスコの牢を…――…脱…」 「え?! トゥパク・アマル様が何だって?! 牢って…?! まさか、トゥパク・アマル様が、牢で、どうか?!」 アンドレスの反応の大きさに、ロレンソは言葉を呑み込む。 周囲の兵たちの視線も、いつしか、こちらに集中している。 ロレンソは、周りの兵たちの視線をかわすようにして、さらに声を低めた。 「いや…これは…全くの風の噂にすぎぬことだから……後ほど、ゆっくり話すことにしよう。 アンドレス、後で時間を取れるか?」 「それは、もちろん! どの道、今宵、再会を祝って一緒に食事でも、と。 でも、獄中のトゥパク・アマル様が、どうか……?」 己の言葉の続きを気にして、ただでさえ大きな黒い瞳をいっそう大きく見開き、懸命にこちらを見つめているアンドレスの腕を、ロレンソは宥(なだ)めるように軽く叩いた。 「アンドレス。 あくまで噂なのだ。 あまり気に留めるな。 いずれにしろ、内容は後で話す」 「…ああ…分かった」 アンドレスは、まだ思いを残した眼差しのままに、しかし、話題を切り替えて問いかける。 「それでは、叔父上たちは…? その後、どのように…?」 「ディエゴ様やビルカパサ殿は、今もクスコ周辺に残って奮戦しておられる。 だが、やはり、スペイン側に決定打を与えられぬまま……」 ロレンソの言葉に、アンドレスは唇を噛み締めた。 そんな彼の肩を、ロレンソは勇気づけるように支えながら、真摯な声で続ける。 「わたしは、マルセラ殿がビルカパサ殿の連隊から分隊し、単独で負傷兵を抱えながら当地へと退避していることを聞き及び、途中で合流し、護衛をしながら共に参ったのだ。 敵兵が虎視眈々と目を光らせる中、これほどの長距離を負傷兵を抱えながらの移動では、あまりに危険すぎるからな……」 「!…あ…え…!――それじゃ…!!」 アンドレスの表情が、瞬時に明るくなる。 「ロレンソ! じゃ…!! はやり、ここにはマルセラの連隊も?! マルセラは?! 無事なのか?!」 喰い入るように己を見据えるアンドレスに、ロレンソは力強く頷く。 そして、微笑んだ。 「ああ、マルセラ殿はご無事だ。 そして、そなたの大事なお方も、ご無事だぞ、アンドレス!! 今も、この軍団の中に共にいる!」 「!!!」 急に光を浴びたように大きく顔を輝かせたアンドレスに、ロレンソは目を細めた。 「そなたの目で、今すぐ、しかと確認してこい! コイユールの到着を、待ち侘びていたのであろう? コイユールも同じだ。 アンドレス、そなたにとても会いたがっている」 恍惚となったまま動けずにいるアンドレスの背を、ロレンソは、グッと押した。 「何をしている? トゥパク・アマル様の元をやっと独り立ちしたばかりのそなたが、このような事態になって、なお、これほどに離れた地で戦っていることを、コイユールがどれほど案じていたと思う?」 「それは…!! 俺だって、どんなにか、コイユールを……!!」 「ならば、すぐに行ってこい!」 「ロレンソ…!!」 「行ってこい!! 早く!!」 決然とした口調でアンドレスを促しながらも、ロレンソは、あの懐かしい大人びた眼差しで微笑んだ。 そして、もう一度、アンドレスの背を、その逞しい腕で力強く押す。 「さあ!! アンドレス、行ってこい!!」 アンドレスは解き放たれたように友の瞳に頷き返すと、あまりの高揚と興奮に、地につかぬ浮き立った足取りで軍団の中に踏み込んだ。 アンドレスの姿を見知っている軍団の兵たちは、その姿にハッとして次々と礼を払っていくが、今のアンドレスには周囲など全く見えていない。 あまりに多くの兵たち、そして、さらに兵たち―――しかも、皆、すっかり旅の泥土にまみれて、素顔も何も見分けがつかない。 彼は無数の兵たちの間を、ただ一人の人の姿を求めて夢中で走った。 その表情には、次第に必死の色さえ帯びてくる。 (コイユール……!! コイユール…!! ――コイユール!!!) いつしか茜色の夕刻時も過ぎ、次第に群青色に染まりゆく天空には、白い月が輝きはじめる。 かくして、愛しい人の姿を求めて走るアンドレスの視界の中に、ついに、探していた相手の姿が飛び込んだ。 (コイユール……!!) 幾多の兵たちに紛れながらも、アンドレスには、まるで、その空間だけが切り離されたかのように、月明りの下に浮かぶコイユールの姿を、はっきりと見分けることができた。 一方、アンドレスよりも先に、その姿をずっと遠くから既に見つけていたコイユールは――その様子は、ロレンソとも競い合えるほどに、風雨に晒されボロボロではあったが――負傷兵を乗せた馬の傍らに佇んだまま、真っ直ぐにアンドレスを見つめている。 どれほど外見が悲惨になっていようとも、その清らかな優しい瞳の色は、全く、そのまま以前と変らない。 次第に冷気を増す夜風を受けて、あの懐かしい長い三つ編みが舞うように揺れ、華奢な足首がのぞくスカートがパタパタと音を立てて翻っている。 (コイユール…――!!) アンドレスは、あまりに深い感動と、そして、あまりに激しい安堵から、完全に足の力が抜けて本当によろけそうになって、慌てて一歩を踏み出して己の体を支えた。 そんなアンドレスに、コイユールは瞳で深く頷き、そっと微笑みを送っている。 そして、コイユールも、今、その胸を、大きな感動と、愛しい人の無事な姿への深い安堵から、本当に張り裂けぬばかりに熱くしていた。 瞳から溢れる涙が、顔をすっかり覆っていた土埃の上に、その跡をくっきりと残して流れている。 (……アンドレス!!) (コイユール!!) 距離を隔てながらも、二人は真っ直ぐに見つめ合ったまま、その眼差しで深く、深く、頷き合った。 そうしている間にも、アンドレスの護衛兵たちが彼の元へと馳せ参じ、「アンドレス様、どうされましたか?」と、背後から声をかけてくる。 アンドレスの意識は、現実に引き戻された。 が、再び視線を走らせた先には、変らずコイユールが佇んでいる。 (これは、夢ではないんだ……!!) アンドレスは深く感じ入り、しかし、今は現実的対処へと向かわざるをえない。 彼は、再びコイユールに振り向いて、その瞳で力強く呼びかけた。 (コイユール!! 必ず、すぐに会える機会をつくるから…!!) その心の声が届いたのか、コイユールもコクンと頷き――さあ、任務に戻って!――と、涙の溢れる目で合図を送ってくる。 アンドレスは、もう一度コイユールに視線を走らせると、押さえようにも零れる微笑みの残光を残して踵を返した。 そして、兵たちに向き直り、気持ちを切り替え、到着した軍団を陣営へと誘導していくための指示を送っていく。 アンドレスは、負傷兵たちの状態を確認するために、改めて、周囲を見渡した。 かなりの深手を負っている者も多く、よくぞここまで辿り着いてくれたものだと、その奇跡に、思わず神に感謝せずにはいられない。 コイユールたち看護の義勇兵たちが、どれほど心血を注いで看病してきたのかが、痛いほどに察せられる。 しかし、それでも…――恐らく、ここまでの道程を生き延びてきた者たちを遥かに凌ぐ無数の兵たちが、その命をこの反乱に捧げるようにして亡くなっているのに違いなかった。 (トゥンガスカでの本陣戦は、一体、どれほどの壮絶な戦いだったのか……! あの決戦では、トゥパク・アマル様が囚われたために、インカ軍の兵たちは殆ど暴徒と化してしまったと聞く。 卑劣なアレッチェの策謀に、インカ軍は、完全に嵌(は)められてしまったのだ…!!) アンドレスは非常に険しい眼になると、きつく拳を握り締めた。 無残な戦闘を経て、なお、過酷な逃亡の道程を進んできた負傷兵たちを、この野晒しの寒空の下から、一刻も早く解放せねばならない。 いや、負傷兵だけでなく、義勇兵や負傷兵を庇護してきた専門兵たちを含め、全軍の兵に即座の十分な食事と休息が必要だった。 一方、ますます強まる風に全身を煽(あお)られながら、コイユールは、周囲の兵たちに気付かれないように、その細い指先で、そっと涙を拭(ぬぐ)う。 それでも溢れくる涙は、少しも止まりそうにない。 やがて、コイユールは、観念したように視線を上げた。 そして、将として、武人として、その任務に戻っていくアンドレスの後ろ姿を、拭っても、拭っても、涙の止まらぬ瞳で、いつまでも見送り続けた。 ◆◇◆ここまでお読みくださり、誠にありがとうございました。続きは、フリーページ第八話 青年インカ(12)をご覧ください。◆◇◆ ジャンル別一覧
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